2009-02-17

70年ぶりの帰還


70年ぶりにひな人形が還って来た。ここまでの経緯はいろいろあったがまずは良かった良かった。
ひな人形の帰還を知ったのは午前中のこと。妻はえらく昂奮気味で、長女が幼稚園から帰ったらさっそく一緒に開けるのだ、と言っていた。午後にはまた妻から電話があり『梱包がすごくて大変だ大変だ』と要領を得ないが雰囲気だけは分かる連絡があり、そして帰宅すると人形だけはひと通り飾ってあった。なんでもどこに誰を置くのかが分からないので取りあえず適当に配置したと言う。送られて来た荷物の中にはお道具類もかなりの量含まれており、臨時の五段ではとても置ききれそうにない。どうやらもともとは7段飾りであったのだろう。梱包を開封した時は多くの人形が1996年の新聞で包まれており、おそらくこれが最後にひな人形を出した年だと思われる。お道具類の中にはなんと!1974年の新聞にくるまれたものもあり、それだと僕の歳とほとんど同じ時間眠っていたことになり驚くばかり。
さて、肝心の人形はと言うとやはり作られてから70年も経ち、その間2回も日本〜アメリカ間を行き来した疲れは所々に散見され、例えば髪型が崩れかけていたり、冠が折れ曲がっていたり、詰め物の綿が飛び出しそうになっていたりと、それなりの傷みはあるものの実際に人形を間近で見てみると、やはりツンと澄ました感じはなく、素朴で庶民のおひなさまという感じがする。どことなく『つっこみ』を入れたくなるようなお人形さん、と言えば分かり易いだろうか?
子供達はもう大昂奮で、さんざ妻の邪魔をして困らしていたようだ。ひな人形が梱包されていた箱には大量のプチプチとともに、マシュマロのような麩菓子のような形をした緩衝材がこれでもか!というくらいに詰められており、子供達はそれを部屋中にばらまいて『雪だ!雪だ!』と騒ぐわ、そこら中の隙間という隙間にねじ込むわとやりたい放題。ひな人形そっちのけのテンションの高さで終始ご機嫌の模様。

これでやっとこさ娘達に桃の節句を楽しませてあげることができそうだ。シアトルの皆に感謝。

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