2009-02-02

それぞれの物語


仕事を休むと決めたらすべてが一気に弛緩し、朝はゆっくりと起き朝食をとってからJackieの散歩へ。散歩から帰ると幼稚園へ行く長女を見送り庭や畑を見てまわる。法蓮草を見ながらぼんやりしていると、誰かお客が来たという。玄関にまわると先日申し込んだコミュファの光回線設置状況の確認のため、トーエネックの担当者が来ていろいろ説明してくれた。彼によると光回線の本線は我が家から200mほど離れたところまでしか来ておらず、そこから引いて来るので開通までは2ヶ月ほど見て欲しいとのこと。ただ、家に引き込むのはNTTの既設回線と同じ場所を通すので問題なくいけそうだ。

そろそろひな人形巡りにでも出ようかと支度していると、妻の母より電話があり妻のfamilyがシアトルに保有しているひな人形を日本に送ってくれることになったと言うのだ。そもそもこのひな人形は戦後2〜3年経った頃に妻の祖母が日本に住む母親からもらったというもので、今から60年近くも前のものだ。4人姉妹の長女である妻の母も子供の頃このおひな様を飾るのが楽しかった思い出があるという。確か7段飾りであった?らしいおひな様も、4人姉妹の次女の娘2人が小さかった頃に数回出したきりで、ここ20年近くはまったく出していなかったらしい。なのでどんな状態かまったく分からないが、このままアメリカにあって飾られずに眠っているよりは、日本に送って飾ってもらったほうが人形達も喜ぶだろうし、シアトルの家族にとってもそのほうが良いだろうということになり、我が娘達が受け継ぐことになった。もちろん身の穢れや厄災から身を守ってくれる身代わり人形としてのひな人形は、一人一つとするのが慣例だろうが、戦後の大変な時期にそれも広島から妻の曾祖母の手によってアメリカに送られたひな人形と、戦争中アメリカの荒野の日系人収容キャンプで辛く惨めな思いをし、戦後すべてを失った状態から必死に生活を取り戻そうとしていた妻の祖母や母、叔母らに喜びと明るさを与えたひな人形をそのまま供養してしまうに忍びなく、かえってこのひな人形の持つ物語と注がれた愛情を受け継がねばならぬと思い、娘達に託すことにした。

まだ話でしか聞かないひな人形がどんな状態か?もうすぐ分かることになっている。
もしひな人形に痛みがあるとしても、その人形の持つ物語の重みが軽くなるようなことは決して無いのだ。

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