2009-02-04

ひな人形のこころ


シアトルからひな人形の画像が何枚か送られて来た。妻の母によると人形の損傷はほとんど無く、ぼんぼりが壊れていたくらいということで安心した。更にその後、妻の祖母にひな人形について詳しく聞いたところによれば、ひな人形が日本からアメリカに送られたのは妻の母が生まれた時ですなわち1940年。戦後ではなく戦前だったと判明した。ということはこのひな人形達もコロラドの日系人収容キャンプ居たことになる。ひょっとしたらそこで桃の節句が行なわれたいたのかも知れない。祖母によればその当時で300ドルしたと伝え聞いたと言う。はたして今の価値にするとどれくらいなのだろうか?とにかく作られてから70年ほど経っていることになる。
さて、そのひな人形だが写真で見る限り15体すべてが違う表情をしており、その表情もどこか柔和でつんと澄ました感じが無く、お人形さんという印象を受ける。衣装も今流行のきらきらハデハデではなくとても落ち着いた色合いで、豪勢ではないものの見るからにすべてが手作りと分かり、温かみを感じる。僕もここ最近相当数のひな人形を見て来たが、この70年前に作られたひな人形のような温かみを感じさせたものは少なかった。親王飾りで30万もする作家もののひな人形は確かに素晴らしく、惚れ惚れして溜め息が出るが、このシアトルの人形達の持つ雰囲気とは何かが違うのだ。それはなんだろう?そうだな・・それは『素朴さ』かも知れないな。確かに桃の節句のひな人形は特別なものだ、だが昨今のひな人形は何か取っ付きにくい高みにあるもののような感がしてならない。ひな人形ではなくお雛様としてキリリと鎮座し、どこか隙がない。言わばきれいにまとまり過ぎているとでも言おうか。でもシアトルのひな人形はちょっととぼけたような顔をしていて愛嬌があり、いかにも普通のお人形さんという感じがする。それはただ作られた時代が違うから・・ということだけで片付けられることだろうか?
今から70年前は世界恐慌からの長く暗い時代が続き、太平洋戦争へと日本が暴走し始める時期に当たる。その頃に作られたひな人形にはいったいどのような心が込められたのだろう?はやく会いたいものだ。

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