2016-12-26

黙考

















普段は感じないが、1人ぼっちになると人の家のあたたかな明かりが目につくようになる。それは電車の車窓からだったり、Jackieの散歩の時だったり様々だ。
『あの明かりの下にはそれぞれの家族があり、生活があり、営みがある。なぜ自分はあの明かりの下にいないんだろう?』という感傷的な思いを、ひとりぼっちだった10代後半から20代前半にかけてはよく感じていた。それは海外を旅している時も同じで、自分は強く闇の中に浮かぶ家々の明かりに惹かれるものがある。
家族を持った今は、まるで心をえぐられるような強い孤独感に苛まれることはなくなったが、その名残だろうかやはり窓から漏れる明かりはどこか心をざわめかせる。
今はそんな機会もほとんど無くなったが、夜の街をあてもなくさまようことが好きだった。歩きながらいろいろなことを考えているほうが、自分の思いを纏めやすかったということもある。
最近は日々の生活に追われ、じっくりと考える時間をあまり持てないでいた。何も考えずとも日々は勝手に過ぎてゆくが、やはり一度立ち止まって考える時間も必要だと思う。
『本当にこれでいいのか?』とね。

0 件のコメント: