2009-03-24

流れ


僕はなかなか物を捨てられない人間だ。為にいろいろ物が溜まり、妻の顰蹙を買っている。確かに捨てようと思えば捨てられる物はたくさんある。『すべてを捨ててしまいたい』という衝動に駆られることもしばしばだ。しかし今まで『もういらんだろう』と思い捨ててしまった物が、2〜3年後に必要になり『しまった』と思ったことが何度もあったので、余計捨てられない病から抜け出せないでいる。それほど物に対する執着心が強いということなのだろう。だからと言って物に執着することのすべてが悪いことだとは思わない。俗人には俗人たる生き方がある。様々な物に執着し、こだわり、無駄を重ね、そして自分が何を為せばよいのか?何を為したのか?も分からぬままにいつしか歳をとり、老いて滅んでゆく。そこにあるものは綿々たる人の営みであって、個としての自分なぞは川の流れに石を投げ込むようなもの。広がる波紋は瞬く間に押し流され、何も無かったかのように滔々と流れ続ける。一体自分とは何なのか?と考えても、答えなど無いのかも知れない。そこで考え方を変てみる。
この川の流れを変えることはできないが、確かに言えることは自分は間違いなくこの大きな流れを構成する一員であり、自分が居なければこの流れも存在しないということだ。自分あっての流れであるならば時には流され、時には逆らったりして大いに泳ぎ回ってやればよいではないか。この流れの中でどう生きるかは自分次第。様々なしがらみが僕の動きを妨げるが、そのしがらみが我が身を守る盾でもあるのだろう。

すべての事象は自分を介して繋がり、その繋がりが僕そのものである。

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