2009-03-18

何をもって悪と為すか?


先日のスピード取り締まりの時にも思ったが、何をもって悪と為すかは人それぞれの倫理観による所が大きい。大きいと言うより、すべてがそうだとも言える。いくら法的な縛りがあり犯した行為に対して罰を下されたとしても、当の本人が悪いことをしたという認識がなければ、ただのペナルティを科しただけに過ぎず何の意味もない。こうなって来るとドストエフスキーの深遠なる世界に突入してしまうので話を戻し、スピード取り締まりについて述べる。
今回の場合確実に僕はスピード違反をしていたが、それが果たして悪だろうか?他人に迷惑をかけるような走行はしていないし、80kmという速度もラッシュアワー時の堤防道路においては一般的な流れの範囲内だとも言える。反対に言えばそんなラッシュアワー時の流れと知りながら、しかも40kmという現状にそぐわない速度制限の場所をわざわざ選んで、つまりカモがたくさん居ると読んで取り締まりをする警察の方がむしろ悪ではないのか?こんな場所で取り締まりをすれば僕のように30km以上オーバーで一発免停を喰らう者がほとんどだろう。このご時世、数万もする罰金はあまりにも大きすぎる。また、それほどまでの悪事を働いたとも思えない。
ならば人が困るのを知りつつ、自分達のポイント稼ぎのために騙し打ち的に取り締まりをする警察の方が悪だと言える。
本来スピードを落とさせる目的であるならば、パトなりおまわりなりが目につく場所にいれば十分威力を発揮するはずだ。それでも減速しなければ白バイなどで追えばよい。
そういう努力もせず人を罠にはめるような警察のネズミ捕りの発想は、心理的根本からの悪である。
捕まった人は言う『運が悪かった・・』と。そう、自分が悪いことをしたと思う人はほとんど居ないだろう。であるならばこんな罰は人を憤慨させるだけで無意味だ。
スピード違反に対する法は間違っていないと思う。その法を運用する警察の性根が腐っているのだ。

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