2008-04-28

ゼロの悲劇


尼崎の列車事故から3年を迎えて、今晩のNHKクローズアップ現代では列車の強度についての大変興味ある調査報道をやっていた。それによると日本の列車車輛は第一にスピードが求められ、次に如何に多くの乗客を運べるか、そしてデザインという順序をもとに設計されており、当然のごとく速度を上げるには車輛の軽量化が必須で、車輛本体の強度は落ちるが軽量のアルミが多用され、多くの乗客を運ぶ為に車内に広い空間をもたせたため更に強度は落ち、デザインはあくまでも見てくれ優先で強度は無視されてきた。それに対してアメリカのAmtrak(アムトラック:鉄道)は90年代の列車事故を教訓にして政府が車輛の強度基準を定め、それにのっとって衝突、転覆試験が繰り返され万一の事故時に乗客の生命を最優先するよう設計されているそうな。しかもそのAmtrakの車輛のうち実に30%もが日本国内で製作されアメリカ本土に送られているという。と言うことは十分に強度のある車輛をメーカー側は作ることができるのにやっていなかったことになり、メーカー側曰く、各鉄道会社がアメリカのように強度を優先した車輛を求めることが無かったというのが理由らしい。確かに利益を追求すれば日本式の車輛の方が短期的なコストパフォーマンスに優れているのは事実だが、それはあくまでも短絡的な判断であり、結果多くの人命を失い計り知れぬ損害を被り、取り返しのつかぬことになってしまった。
この報道を見ていてゼロ戦の話とまったく同じだと感じた。運動性能ばかりに重心を置いたため、当初はその機動力から無敵とされ伝説とまでなったがパイロットを守る装甲は皆無で、ために優秀なベテランパイロットの多くを失い制空権まで奪われて本土空襲を受け、おびただしい人命を失った。あれから60年以上も経つのにこの国はまったく変わっていないのだ。最優先されるはずの人命は何時も利益や都合に蹂躙され、軽んじられる。技術力が無いのならまだ分かる、でもそうじゃない。できるのにしない。なぜそうなったのか?いつからそうなったのか?分からない。とまれこの国では命の価値がまだまだ低いのが現状だ。

For The People Of Tibet

0 件のコメント: