2006-12-15

聖体拝受


小さな頃、母親に連れられ教会へ通っていたことがある。
記憶は断片的なものでしかないが、牧師の手でせんべいのようなものを口に含まされたのだけは良く憶えている。それが聖体拝受と知ったのはずいぶん経ってからのことだ。子供の頃は図鑑が好きだったが、その傍らにはいつも黄色いハードカバーの挿絵入り子供用聖書が置いてあった。文章は簡略化してあったが読むことはなく、挿絵だけを見て楽しんでいた。子供用の挿絵にしては聖画風の絵だったので興味がわいたのかも知れない。今でも天の火がソドムとゴモラを焼き、それを振り返って見てしまったロトの妻イルディスが、塩の柱にされてしまうシーンをはっきりと覚えている。思えばまんまと洗脳されていたことにもなるな・・
それからだいぶ経ち、何を思ったか聖書をすべて読んだりもした。だからといって自分はキリスト教徒でもないし、信仰もしていない。たまたまそういう環境にいたというだけだ。おそらく世界中の多くの子供たちが自分から宗教を選んだのではなく、そのような環境で育ったからある特定の宗教を信仰するようになっていくのだと思う。だからこそ、ただ宗教が違うからと言って人を人と認めず、傷つけ、殺めることほど嘆かわしいことはない。

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