現地からの情報は途切れたまま、友を含む遭難した3人の消息は依然分からない。いくら通信技術が発達したとはいえ、ダウラギリ登頂を目指すベースキャンプ付近は隔絶の地でもあり、おそらく衛星電話くらいしか通信の手段は無いのだろう。救助の応援に向かうと言っても場所が場所だけに容易には近づけず、ただただ待つしか無い我々にとっては時間だけが無為に過ぎていくような焦燥感にかられて、何もできぬ無力感だけが漂う。
TVニュースなどで盛んに報道されたのは一昨日の夜から昨日の朝にかけて、それが昨日の夜にはわずか1分にも満たない報道となり今日は完全に消えてしまった・・。同じくしてネット配信ニュースも検索しているが、やはり新しいニュースは無いようで昨日の記事ばかりが並ぶ。なんて静かなんだろうか・・この情報の無い静けさが怖い。友はまだそこに居るってのに、待ってるってのに・・・
不思議な感覚だ。友についての情報が無いまま自分がいつものような生活リズムを淡々と刻んでいると、やはり今回の遭難事故が現実のことじゃないようにしか感じられなくなって来る。なにか自分が勘違いをしていて、勝手に今回の遭難事故をでっち上げているんじゃないか?とね。『これは現実なのか?』と、日に何度も何度も自分自身に問いかける。現実じゃないことが一番いい。しかし残念なことに、悔しいことに、これは現実なんだ・・
なぜそのタイミングで雪崩が起きたんだ?
あまりにも理不尽じゃないか。
そんなこと受け入れられるか!
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