2010-02-27
Modoki論
英語版ナショナルジオグラフィックを見ていたら、エルニーニョに関する記事の中で『El Niño-Modoki』なる現象が紹介されており、その『Modoki』の説明に(Japanese for "similar but different")とあった。この現象を命名したのが東大の山形教授なので、『○○もどき』という言葉がそのまま使われていても不思議ではない。ただ、妻に確かめても英語でダイレクトに『○○もどき』を表す言葉は無いようだ。
そこで思う。これは個人的な感想だが『もどき』という言葉からは本物ではないどことなく中途半端な印象を受け、マイナスイメージが先にくるよう感じるが、一方で本物ではないが本物と見間違えるほどのものであり、その『もどき』振りを生き残るために身につけたような、生に対するしたたかさも感じることができる。
ある意味『国民総もどき』とも言える独特の曖昧世界に生きる我々にとって、いかに『もどき』振りを発揮できるかがその個々の将来を左右することになる。『違い』を主張すると叩かれ、皆と同じだと埋もれてしまう。ならば大いにもどいてやってしたたかに生きてやらねばならぬ。これは世界に対しても同じこと、日本人に足らぬのは外交などで分かるように『したたかさ』なのだ。したたかさなんて・・と言う人もいるだろうが、もともと正々堂々ともしておらず単に中途半端なだけなんだ。だったらとことんしたたかになってやれば良い。おそらく世界でも我々ほど『もどき』振りがうまい民族もいないだろうしね。
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