2022-03-12

あの日の教訓













昨日、東日本大震災から11年目を迎え黙祷を捧げたのだが、改めて目をやると東南海地震などの巨大地震がいつ発生してもおかしくない状況のなか寝起きしているわけで、そう考えると当然のことだが恐ろしくなってくる。ただ、そう思うのは暫時のことで、すぐに日々の忙しさに呑まれそんなことを忘れて時を過ごしている。まったく人間とは都合の良いようにできていると思う。

我が地方も東南海地震が起これば震度6弱程度の揺れに襲われると予想されており、耐震基準の低い時期に建てられた我が家は倒壊しないまでも深刻な被害に見舞われるはずだ。そうなった場合でもおそらく平屋の離れは大きな被害を受けることなく済むのではないかと考えている。もし離れも大きな被害を受けた場合は、庭にテントを張ってしばらくの間耐えるしかないだろう。ある程度はそういったケースを想定して準備をしてあるので何とかなるとは思うが、問題はどこで被災するかだな。家から遠く離れた場所で被災すれば車での移動もままならないと思うし、家族皆がバラバラの状態で被災すればなおさらだ。やはりそういったことも予想して歩きになった場合のルート確認など、平時の備えを改めて見直さなければと思う。

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