安倍元首相を殺害した山上被告に対して無期懲役の判決が出た。判決は山上被告の不遇な生い立ちと、改造銃を発砲して安倍元首相を殺害した凶悪性を分けて考えた上での判決とされるが、被告の絶望的とも言える不遇な生い立ちがなかったら事件は発生しなかったわけで、自分としては今回の無期懲役判決は初めからの規定路線に沿った判決だったと思っている。まあ是が非でも山上被告を無期懲役に処さねばならないと言う圧力があったのは確かだろう。裁判官がそれに忖度したという事だと思う。裁判員裁判だから裁判官が判決内容を一見操作でき無さそうに見えるが、結局のところ裁判員は素人の集まりであり、意見の集約を行うは裁判官になるので誘導は容易な事だろう。しかし思うのだ。無期懲役だろうが懲役20年以下だろうが山上被告自体が生きる意思を失ってしまっている以上刑に服す意味があるのだろうか、とね。彼は安倍元総理を殺害した事に関して謝罪しているが、今でも間違ったことはしていないと信じているだろう。頑強な意思が無ければあんなことは出来ないはずだ。そんな人間が何年刑務所に居て懲役刑に服そうが悔い改めるなんてことは無いと思う。生きる意思も失くし、悔い改める気もない者に対する量刑の意味は何だろうかと考え込んでしまう。何もかもとうの昔に諦めてしまっている人間にはもはや全てのことがどうでもよいことにしか見えていないのかもしれない。
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