2025-01-07
チベット地震
ネパールとの国境に近いチベット自治区南部に位置するシガツェでM6.8の地震が発生し、多くの死者が出ている様だ。近代的な鉄筋コンクリート造りのビルはともかくとして、チベット族の伝統的な家屋は太い柱と梁の骨組みに煉瓦を積み上げた重厚な作りではあるものの耐震性の面から言えば脆弱で、今回の地震では現時点の推計で1000棟を超える建物が倒壊したと見られている。救助隊も現地で懸命の作業をしている様だが、標高4000mを超える高地であることと地震により道路が寸断されている影響で詳細な状況は未だ不明だ。またチベット自治区であることから中国政府が対外的にどこまで情報を開示するか疑問でもある。多くの人命に関わることなので習近平が出したという指示通りに迅速に救援活動が為されることを期待したい。
2025-01-06
52
昨夜寝ている時に腹痛で目がさめた。食あたりする様なものは食べていないので原因は分からないが、腹を下した後しばらく痛みが続いた。いつの間にか寝入っていて朝まで寝れたことは幸いだった。朝になっても腹の調子はイマイチだったので朝食は軽く済ませて初仕事に出た。仕事始めはあいにくの冷たい雨模様だったので現場作業は中止にして、雑多な事務仕事を中心に片付けていった。現場事務所は寒いので石油ストーブを点けたが、タンクが空に近かったので給油しようとすると給油ポンプが動かない。電池を換えても動かないので故障したのだろう。ポンプをいじっていると中に残っていた灯油が足にこぼれ落ち靴下にしっかり沁み込んだので臭いのなんのって。なんだか今日52になったというのについてないことばかりだよ。でも帰宅すると娘たちが自分のために晩ご飯を作ってくれていた。その心遣いがありがたかった。これで運の悪さが報われたよ。
2025-01-05
成人式前撮り
今日は長女の振袖姿の前撮り日。時間をかけて着付けとヘアメイクを行い、いよいよ写真撮影へと臨む。長女の写真はもちろん、家族写真も一緒にお願いできるというので皆で正装して長女の撮影を見守った。スタジオの方々は実に手際よく撮影を進行し、アシスタントの方が長女のスマホでカメラマンが撮影したカットと同じアングルで撮影してくれる。小物も活用して様々なポーズを撮影し、次に家族との写真となった。家族入りの写真も全員で撮ったり娘たちだけで撮ったりといろいろなパターンで撮影し、これもアシスタントの方がスマホで撮影してくれた。写真撮影が終わった後にこの中からアルバムにしてもらう3カットを選ぶ作業を皆で相談しながらしたが、その選択肢の中からは家族皆が入った写真は除外した。長女の全身と上半身アップ、それに娘たち3人の写真を選んだ。この3人で撮った写真が素晴らしく良かったのでこちらを選んだ次第だ。アルバム写真からは漏れたが、ほとんど全ての写真がスマホで撮ってあるので問題ない。このサービスはほんとありがたい。
10時半から着付けを始め、全て終わったのが午後2時ごろ。長丁場で長女も疲れたと思う。
長女の振袖姿を見ながら『二十歳か〜』と感無量になった。いい撮影会ができて良かったよ。
2025-01-04
3回目の餅つき
年末を含め3回目の餅つきを行った。前回同様餅つき機での餅つきなので下準備さえしておけばいつでも可能だ。まだ切り餅の在庫はあったが親父殿が『つきたての餅を食べたいな』と言っていたので、そのための餅つきだ。今回も2升分の餅をついたが、熱々の餅を手早く丸めて皿に並べ、熱いうちにきな粉や砂糖醤油、キムチで頂く。これは何度食べても美味しいね。妻や娘たちはもちろんのこと親父殿も怒涛の勢いで餅を食べ、あっという間に丸めた分は売り切れたよ。案の定のし餅用に分けておいた分を2升用ののし袋に入れ伸ばしてみると1升にも満たなかった。今回も1升以上の餅を食べたということだね。大したものだよ。母親も姉も餅好きなので今度我が家で餅つき大会をしてもいいかなと思う。みんな喜ぶやろな。ああ、でもそうなると2升では足りないかも。5人で1升だから13人くらいいるととても足りないよな。やっぱBBQの方が無難かも・・
2025-01-03
正月3日
正月3日もゆっくりめの9時過ぎに起きて朝食を摂る。正月三が日も今日で終わり。休日の時の流れは驚くほどに早い。今日は特に外出する予定もないので天気もいいことだし庭木の剪定を行った。今回はわりと強めに剪定をしたがおそらくすぐに戻ることだろう。むしろ今までがちょっと混み過ぎくらいだったのでこれでちょうど良くなったのではと思っている。庭木を剪定すると見通しがすっきりして空が広がった感じがする。それだけ風通しが良くなったということだから庭全体の環境的にも改善されたはずだ。庭木の剪定は終わったが堤防や河川敷の剪定はこれからなので頑張らないといけない。特にこちらはかなりの大木になっているのでチェーンソーは必須だ。チェーンソーを使うと大事になるので相当気合を入れてやらないといけない。 まあ無理をせず時間をかけて片付けていくしかないかな。
2025-01-02
正月2日
正月2日は実家に皆で集まりワイワイと食事を共にした。全員で13名だからかなりの人数だ。その人数分の食事をほぼ全て母が用意したので、さすがの母もずいぶん疲れていた様だった。そこまで気合を入れて用意しなくてもいいと皆は思っているが、そこは母の譲れない所なのだろう。以前はそれが体力的にも可能だったと思うが、高齢の域に入りつつあるので年々負担が増してきているのは確かだ。今後は母とも話し合ってより負担の少ない方法を模索していかねばと思ったね。ただこうやって皆で集まって鍋をつつくのは楽しいことだ。お互いの近況を話したりなどこうやって集まらねばできないこともあるので、やはりこういう場があるということが大切なのだと思う。 その場を設けてくれた母に感謝したい。
2025-01-01
正月1日
10時までゆっくりと寝て目覚め、雨戸を開けると目の前が真っ白になった。目が潰れる様な眩しさが和らぐとそこには快晴の青空が広がっていた。気温もこの時期としては比較的高めで穏やかな新年の幕開けを迎えることができた。
朝と昼を兼ねた朝食は先日ついた餅を雑煮にし、毎年実家の母が手配してくれるおせちを『これが美味しい、あれもいけるぞ』などと皆でつつきながらの食事も楽しいもの。我が家は堅苦しいことは一切しないので食事後は各々好きなことをして過ごし、 次女が姉妹と着物を着て写真を撮りたいというので次女が着付けを行い、3人揃って写真撮影を行った。こうやって母親から譲り受けた着物をたまにだけど出して着てあげることができて、着物たちも喜んでいるんじゃないかな。もう50年以上も前のものだけど今来ても遜色ないからね。
昨年は能登半島地震があって決して穏やかな元旦ではなかったけれど、今年は特に災害が発生することもなく平穏に過ぎてくれたことがありがたかった。能登半島地震の犠牲者にはここに黙祷を捧げたい。
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