天候が急速に回復するなか、仕事場を抜け出し友人の写真展を訪れた。彼女が東北に移り住んでからもう9年も経ってしまった。今回はその9年の歳月の中から38枚を選び出し、写真を見る者にいろいろなことを語りかけ、感じさせている。彼女の撮った写真を見ながらその一枚一枚の中に流れる筋のようなモノは一体何だろうか?と考える。そこには人々の日常の営みが写し込まれ、それは何世代にも渡って連綿と続けられて来た、続けられてゆくであろう『生』の営みなのだ。その平凡であるはずの日常を僕達が目の当たりにした時、なぜこんなに心にジンとくるモノがあるのだろうか?彼女が後記に『この地を始めて訪れた時、ここで写真を撮りたいという衝動に襲われ、その感じは今でもはっきりと憶えている』と記していたように、何かが僕達を引きつけてやまないのだ。じゃあ、それは何なんだ?センチメンタルなノスタルジアだと言う人もいる。それも確かにあるがそれだけじゃない。もっと何か自分達の存在に関わるもの、普段は覆い隠され、押さえ込まれている血脈の底に流れるもの、それらが彼女の目を通して写真という手段によって表現されている。
その写真に答えは無い。そこにあるのは様々な『生』の刹那であり、それを見ることは自分自身を見つめることでもある。
For The People Of Tibet
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